黒歴史の記事一覧

         
2024年08月22日

117: 名無しさん@おーぷん2016/01/18(月)21:38:49ID:irv
吐き出したくて来ました。
いい年をしたおばさんの愚痴や後悔混じりの話しになりますがお付き合いください。
弟が自さつした話なので不快な方は読み飛ばしてください。

私はいわゆる毒親の元に生まれた。
両親は典型的な田舎の長男教で、長男以外はいる価値がない。
むしろ、家計のためにはいないほうがいいという考えの持ち主で、
男ならまだしも女は猫といっしょでガキを作るしか能がないと常々言い続けていた。
そんな親は三つ下の弟を異様に溺愛したが私のことは徹底的にイビリ続けていた。

召使いのような扱いを受け、毎朝5時に起きて廊下の雑巾がけをしなければ
箒や棒のようなもので打たれた。

食事すらロクに与えてもらえず、両親は自分たちが食べ残した物を私に投げてよこした。
空腹に耐えきれず、投げつけられて落ちた物を拾って食べる私を「卑しい」と罵り、
蹴られることも珍しくはなかった。

今でこそ開けてきてコンビニや大型スーパーもできたし電車が開通したことで拓けたけれど、
私が子供の頃は何もなかった。もしあったら私は万引きしてでも食べたと思う。

子供だった私は飢えに耐えかねて近所の畑を荒し、土がついたままの大根や葉っぱを
齧っては見つかって怒られた。

若い人にはピンとこないだろうけど、地元は男優先の男尊女卑が今も根付いている地域で、
女だっていうだけで無意味に貶める風潮が少なからずあった。
全員が全員そうだったわけじゃないんだろうけど、
閉鎖的な環境で暮らしていたその頃の私は、周囲に助けを求めてもムダだと学んでいた。

毒親に溺愛された子というと、毒に染まったどうしようもない人種だと思われがちだが
弟は違った。
両親に食事すら与えてもらえない姉に、弟はよく自分のお菓子を分けてくれた。
見ているところで分けると「弟のものを盗り上げた」と余計にひどい暴力に晒されるので、
親が寝静まったころにこっそりと食べずにとっておいたお菓子を持ってきてくれた。

幼いなりに自分の家がおかしいとわかっていたのか、ニヤニヤと笑いながら私をいたぶる両親に
何度もやめるように言ってくれた。

でもその当時の私には、弟を可愛いとは思えなかった。
両親の愛情を唯一独占している弟が妬ましかった。はっきり言えば僻んでいた。

私は着古してボロボロの服を着て、暖房も扇風機もない三畳足らずの物置で寝起きしていたが、
いつもきれいな服を着ていた弟にはエアコンのついた部屋が与えられていた。
男に生まれただけで何不自由なく恵まれた待遇にいる弟を、妬まずにいられるほど
大人ではなかった。

弟のほうは「姉ちゃん、姉ちゃん」と言って懐いてきたがそれすら煩わしかった。
今にして思えば、弟は随分さみしい思いをしたんだと思う。

両親は弟を溺愛していたが押し付け的なところが多々あった。
弟が姉に懐く姿を見て、「弟に色目を使うような女」と姉に暴力と暴言を浴びせる親だ。
まともではない。そんな親の愛情を受けたところで弟は辛いだけだったんじゃないかと。



         
2024年06月29日

1:修羅場な話まとめ2016/11/01(火) 16:51:06.05ID:OICxeYSW
書き留めていないので遅くなります。
身バレが怖いので若干のフェイクを入れさせていただきます。
御了承ください。


         
2023年11月25日

74 :修羅場な話 2018/06/06(水) 06:08:49 ID:0jw
学生時代、何故か自分はサバサバした格好いい女子!と思い込んでいた。
それを周りに吹聴していた痛い過去を唐突に思い出して今うわぁー!ってなってる。恥ずかしい。

女忄生らしい服装が苦手で、Tシャツにジーンズばっか着てた。
可愛いものに興味がなく細かい事を気にしない。
ネチネチした所がなくサッパリした忄生格でサバサバ女子!と思い込んでた。
学校が理系で、周りが男忄生ばかりだったから自分も男忄生になった気でいたんだろう。
実際は、お洒落に興味がなく単にズボラだっただけ。遅刻しても気にしなーいみたいな無神経な女。
男女関係なく失礼な奴だった。
ある日、いつものように「私ってサバサバしてるから女同士のイザコザって理解出来ない」みたいなサバサバ自慢?してた。

そしたら友人(男)に、「いや、お前はサバサバじゃないよ。どっちかというと湿ってる。
遅刻とかだらしないだけで、この前『○ちゃんに無視されたかも』って騒いでたじゃん。
人間関係で悩んだりするのが女忄生らしいとは思わないけど、うまく言えないけどともかくサバサバではない」とハッキリ言われてしまった。
その瞬間、血の気が引くというか目が覚めたというかカーっとなった。
今までの言動が恥ずかしくなって何も言い返せなかった。
よく考えたら、すぐ泣くしかなり面倒臭い忄生格してる。何で自分をサバサバと思い込めたのか本当に謎。

あの時の友人には本当に感謝してる。
でも朝からこんな恥ずかしい過去を思い出してしまって、今日の1日うわぁー!ってなりながら過ごすのかと思うと辛い。

         
2023年11月16日

788 :修羅場な話 2016/11/12(土) 06:43:59 ID:kDpeeMX50.net
小4くらいのとき習ってた英語の先生の携帯をパクった。
1994年当時はまだ携帯を持ってるひとは珍しく、携帯に興味津々。
教室に一番について先生がトイレかなんかの間に盗んだ。
帰っていじくってみてもわけがわからず、電源ボタンらしきものを長押ししたら電源が切れた。
そうしておいた方がいい気がしてそのままにしてた。

その後先生から家に電話。
「一番に来てたからなぜ無くなったか知らない?
○○(私)が盗るわけないし、誰かが触ってたとか見てない?
電源が切られてるみたいで場所もわからない」という内容だった。
カバンに入れてた授業の間に着信がなくてよかった。電源を切っておいて良かった。
携帯はゴミの日に捨てた。

         
2023年10月29日

5 :修羅場な話 2015/11/24(火) 21:16:24 ID:7Ge
もうかれこれ20年近く前のお話。
当時私は原付の免許を取って職場までそれに乗って走っていったりしてました。
その日も早朝、原付が走れる有料道路(西神戸有料道路)を学園都市から鵯越方面へ走って職場へ向かう所でした。
鵯越の料金所の少し手前辺りに一部一車線になる部分があり、そこに差し掛かって中頃で事件は起きた。
後ろからオラついた車に煽られ始めた。
チキンだった私は一車線だしどうする事も出来ず、その一車線が切れるのをただ待つばかり。
一車線が切れて後ろを先に行かせたい一心で横に避けた時、後ろから“ガリガリガリガリっバキバキ!”と言う音が聞こえたのでミラーで後ろを確認。
側溝に一台の白いセダンが脱輪して煙をあげていた。
言わずもがな後ろから来ていたセダンが私を避けようとハンドルをきった結果だろうと言う事は想定出来た。
一瞬で判断をしなければ行けなかった自分は、止まりかけて逃げ出してしまった。
あの時、二次災害的に巻き込まれてしまったセダンの方、申し訳ない。
あれ以降、ハンドル握る資質なしと言う事で、原付からは降りて、免許証は身分証としてのみ使用しています。

         
2023年06月23日

366 :修羅場な話 2010/08/25(水) 20:49:48 ID:c0TgRDR4
中学の時、ちょっと苛められたくらいで被害妄想で不登校になった。
それから厨二病がひどくなり、
「手首とか体に一生消えない傷痕ってカコイイ」と大馬鹿なこと考えて
両腕、太もも、腹、手足の甲、首、顔、目、7年間切り刻んだ。その間、ずっとほぼヒキ。
自分の部屋に自分の血をビンに詰めてため込んだり、ふりまいたり、ただの基地外。
本当は狂ってるまでいってない。
基地外なふりをしてるのが何故かカコイイと思ってた本格的な厨二だった。

厨二が抜けてきて、普通におしゃれとか楽しみたくなった頃、傷痕に絶望。
医者に見せると本当に一生消えない傷跡になってた。大馬鹿。
あの頃全部消えてなくなればいいのに。


いきなり長文すまない。

         
2017年08月06日

117: 名無しさん@おーぷん2016/01/18(月)21:38:49ID:irv
吐き出したくて来ました。
いい年をしたおばさんの愚痴や後悔混じりの話しになりますがお付き合いください。
弟が自さつした話なので不快な方は読み飛ばしてください。

私はいわゆる毒親の元に生まれた。
両親は典型的な田舎の長男教で、長男以外はいる価値がない。
むしろ、家計のためにはいないほうがいいという考えの持ち主で、
男ならまだしも女は猫といっしょでガキを作るしか能がないと常々言い続けていた。
そんな親は三つ下の弟を異様に溺愛したが私のことは徹底的にイビリ続けていた。

召使いのような扱いを受け、毎朝5時に起きて廊下の雑巾がけをしなければ
箒や棒のようなもので打たれた。

食事すらロクに与えてもらえず、両親は自分たちが食べ残した物を私に投げてよこした。
空腹に耐えきれず、投げつけられて落ちた物を拾って食べる私を「卑しい」と罵り、
蹴られることも珍しくはなかった。

今でこそ開けてきてコンビニや大型スーパーもできたし電車が開通したことで拓けたけれど、
私が子供の頃は何もなかった。もしあったら私は万引きしてでも食べたと思う。

子供だった私は飢えに耐えかねて近所の畑を荒し、土がついたままの大根や葉っぱを
齧っては見つかって怒られた。

若い人にはピンとこないだろうけど、地元は男優先の男尊女卑が今も根付いている地域で、
女だっていうだけで無意味に貶める風潮が少なからずあった。
全員が全員そうだったわけじゃないんだろうけど、
閉鎖的な環境で暮らしていたその頃の私は、周囲に助けを求めてもムダだと学んでいた。

毒親に溺愛された子というと、毒に染まったどうしようもない人種だと思われがちだが
弟は違った。
両親に食事すら与えてもらえない姉に、弟はよく自分のお菓子を分けてくれた。
見ているところで分けると「弟のものを盗り上げた」と余計にひどい暴力に晒されるので、
親が寝静まったころにこっそりと食べずにとっておいたお菓子を持ってきてくれた。

幼いなりに自分の家がおかしいとわかっていたのか、ニヤニヤと笑いながら私をいたぶる両親に
何度もやめるように言ってくれた。

でもその当時の私には、弟を可愛いとは思えなかった。
両親の愛情を唯一独占している弟が妬ましかった。はっきり言えば僻んでいた。

私は着古してボロボロの服を着て、暖房も扇風機もない三畳足らずの物置で寝起きしていたが、
いつもきれいな服を着ていた弟にはエアコンのついた部屋が与えられていた。
男に生まれただけで何不自由なく恵まれた待遇にいる弟を、妬まずにいられるほど
大人ではなかった。

弟のほうは「姉ちゃん、姉ちゃん」と言って懐いてきたがそれすら煩わしかった。
今にして思えば、弟は随分さみしい思いをしたんだと思う。

両親は弟を溺愛していたが押し付け的なところが多々あった。
弟が姉に懐く姿を見て、「弟に色目を使うような女」と姉に暴力と暴言を浴びせる親だ。
まともではない。そんな親の愛情を受けたところで弟は辛いだけだったんじゃないかと。


         
2017年07月05日

1:名も無き被検体774号+2016/11/01(火) 16:51:06.05ID:OICxeYSW
書き留めていないので遅くなります。
身バレが怖いので若干のフェイクを入れさせていただきます。
御了承ください。


         
2017年05月25日

422: マジレスさん 2016/10/02(日) 23:06:04.67 ID:AERwq2W6
母親を○したいくらい憎いです 
22歳の♀ですが、ずっとオシャレを禁止されており、
この年まで男女交際経験の経験がありません 

今はオシャレをしていますが、
なんの思い出もなかったということが悲しすぎます 
どうしたらいいですか


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