感動の記事一覧

         
2018年04月03日



813:名無し@話し合い中2006/08/12(土) 01:56:41
827 :826:2006/08/12(土) 00:09:46 ID:v/0N/3Wu
3年前くらいから、父は仕事でパソコンを使うようになった。
でも、根っからの関西人で、発音が関西な父。
そのままタイプするもんだから、当然変換されない。

父「おい!○○(私)!○○!パソコンが壊れた!」

私「はいはい、今度はなんですか」

父「あんな、なぬかって入れたのに、漢字にならへんねん!」

私「あんな?なぬかは「なのか」って発音すんねん。入れてみ?」

父「おぉ!「七日」ってなったわ!(・`ω´・)○○はすごいなぁ!(゜∀゜)」





         
2018年02月13日


297:苛められっこ2006/09/03(日) 16:02:43 ID:duqD6ScY
高校二年生の頃、俺は苛められていた。誰に、と言うわけではなく、「クラス全体」からのいじめだ。
時には、クラス全員から無視され、時には、○○(俺の名前)病やー!とか言われ、俺にちょっとでも触れた奴が騒ぎ出す。
鬼ごっこならぬ○○病ごっこの始まりである。
教師も、表面上は心配していたが、裏ではめんどうな問題の一つとしてしか見ていなかったと思う。

そして最悪だったのは、弁当を鞄から取られた事だ。昼休み、俺は自分の弁当を食べようと、かばんをあさった。
しかし弁当の感触は無く、教科書の感触だけが俺の手を伝わった
無い。無い。俺の弁当が無い。

首をかしげながら、ふと回りに目をやるとこちらを見て、数人の男子が笑っている。(教師も手を焼くDQN軍団)
「おい○○!お前の弁当落ちてるぞ!」
嫌な予感がした。
俺はビクつきながらもDQN達の居る所へと歩いていく。俺の弁当は確かにそこにあった。
「見つけてやったんだからさ。1割だよな」
「5000円くらいじゃね?」

げらげらと下品な笑いを浮かべるDQNたち
ゴミ箱の中に捨てられた弁当の中身を見ながら俺は震えだした。今まで、どんな苛めも耐えぬいてきた。
しかしこの弁当は、母が作ってくれたものである。
朝から晩まで働いている母が、眠い目を擦りながら作った俺の大好きなお弁当。
俺は感じたことの無い感情に見舞われた。こういうのを切れると言うのだろうなと思いながら
俺は椅子を持ち上げていた。



         
2018年01月16日

700:可愛い奥様2011/08/01(月) 01:07:24.06 ID:uL+7PdWU0
落ち着いてきたので書いてみる。

隣家別居のウト(故人)は、いわゆる空気な人だった。
孫には興味を持ってたみたいで子守はたまに引き受けてくれたが、
それ以外は本当に空気で、生前の記憶といったら、年末年始に
ただ黙々と年賀状の山を作り出しては「郵便局」と出かけてくいくか、
私の子にしつこく布団蒸しごっこをしかけては私を切れさせてた事くらい。
でも今回の震災で、その印象ががらっと変わった。
震災の時にあわてて探した防災避難用具一式は、
ウトが頻繁に手を入れて常にベストな状態に保っててくれたもの。
ウトが亡くなるちょっと前に話題になった保温シートとか、
高低差の記された避難専用地図も入ってた。
義実家のタンスや納戸には、不器用ながらウトの手で耐震対策が
施されてたおかげで、トメは昼寝中に寝室のタンスで
押しつぶされることもなく、飛び散って砕けた食器類で
怪我することもなく、無傷で済んだ。
たまたま義実家にいた私と息子も同様。


         
2017年11月24日


58:おさかなくわえた名無しさん2014/01/30(木) 09:56:59 ID:n2lRnUwk
長いです。吐き出しをかねて。


うちの近所に、いわゆる聾唖のおじいさんが住んでた。
祖父母と同世代くらいで、事情があるのか、家族はいないそうで、親戚とも離れて一人暮らしだった。
私は、小さい時、「聾唖」ということがわからなくて、
どうしてあのおじいさんはいつもニコニコしてるのに、
挨拶しても返事してくれないのかな?と思って、母に尋ねた。
「おじいさんは耳が聞こえなくて、喋ることもできないの。


だから、あんたが挨拶しても聞こえないの。無視してるんじゃないのよ」と教えられ、

聞こえない、喋れないってつらいなと思った。

そんなおじいさんに、弟はよく懐いてた。
おじいさんは手話もできなくて、意思の疎通は基本的に筆談。
学校もまともに行けてないそうで、ひらがなばかり。

弟が「今日ね、○○(差別用語)さんに漢字教えてあげた!」と言った時、母が卒倒しかけたけど、
その差別用語は、おじいさんが幼少期からずっと、周囲に言われ続けたことだった。
自分が耳が聞こえないのは本当だから、と。
両親は弟に「いくら本人がいいと言っても、そう呼んじゃ駄目」と言っていたが、
6歳の弟にはよくわからなくて、結局、親が折れた。


幸い、近所の人達も、おじいさんが自分のことをそう言っているのはわかってたから、
弟は責められなかった。


         
2017年11月23日


1: 名も無き被検体774号+ 2012/11/20(火) 15:50:45.65 ID:gExy4Sja0
誰かに聞いて欲しい。


         
2017年10月22日

557:名無しさん@お腹いっぱい。[]2008/11/18(火) 20:11:44
ふーこの前の話なんだけど、ようやく独身の頃から憧れていた
バルセロナ・チェアーを少ないこずかい削ってたばこやめて
20万貯めてレプリカだけどいいやって思って買おうっとして
妻と二人で、家具屋に行ったんだ
正直夫婦共同の貯金は、あるけど将来のために使えないし妻もいろいろ
我慢してる感じだ
独身時代の貯金は、引越しやら、結婚式やらでほとんど残ってなかった
家具屋についたら、妻がずっと化粧台見てるんだなんて言うか寂しそうな
雰囲気で、なんかうしろめたさからその日は、買うのを、やめて食事して
帰った
妻には、なんで買わないの?って聞かれたけど
なんとなく次でいいやって答えた
んーやっぱ中学生の頃から、ほしかった家具だったので仕事の帰りに家具屋さん
に一人で行ったんだ
どうしても妻の顔が浮かぶ
寂しい表情の顔がうかぶ


         
2017年08月07日

1: 名も無き被検体774号+ 2016/11/28(月) 21:55:42.62 ID:jjWy01Av
書き溜めないけど聞いてほしい


         
2017年08月04日

271:名無しさん@お腹いっぱい。2013/06/21(金) 06:44:33
結婚8年目。
子育て頑張ってくれている嫁にマジで言いたい。。。
でも夫婦ともに子供中心な関係になり、普段愛をささやくような関係でないから
今更感がすごくある。どうやって言えばいいんだ?


         
2017年07月28日

826:名無しの心子知らず2016/11/05(土) 01:11:02.93ID:aTpmOLH4
上二人幼稚園卒、二人目が小学校に上がるタイミングで仕事を始めた。
そして長い年月を経てこの度3人目を出産。

この子を保育園へ預けて復職するか、
また専業でゆっくり育児をして年少から幼稚園へ入れるか。
悩んで悩んで悩みまくったけど可愛すぎて無理ですた。

こんな、目が合うだけで満面の笑顔を見せてくれる子を、
目をそらしてもキラッキラの瞳でもう一度私が見てくれるの待っている子を、
そして再び目が合うと今度は手足バッタバタと動かしながら声を上げて笑うこの子を
誰かに預けるなんて無理ですた。
この、超スーパーミラクル無限大可愛い時期は、仕事と天秤にかけたときに
可愛い時期のあまりの重さに仕事側の重りが空の彼方へ飛ばされてしまった。
保育園と幼稚園、どっちが良いとか悪いとかどうでもいいよ。

わたしは、この子とじっくりじっくりじ~っくり、
とことん楽しく幸せな時間を過ごすために、保育園に預ける選択をしない。

私が言えることは、今私が仕事を選んでこの子を保育園に預けたら…
この子は間違いなく可哀想な子ってことだけだ。

それほどまでに、この子は私を猛烈に必要としているし、
私と家で過ごす時間がとてつもなく幸せな時間である自信がある。
我が子の場合、だけどね。
あくまで。


         
2017年07月27日

760: おさかなくわえた名無しさん 2016/11/20(日) 14:29:50.19 ID:i5ZrWkOA
ながーーーいので分けます。 
長文嫌いの方はスルーでお願いします。 

来年、結婚が決まった。 
昨日、母の再婚相手で私が高校生のころから
一緒に暮らしてる養父と二人でコタツで飲んだ。 

養父のことは大好き。 
母を大事にしてくれるし、いきなりできた女子高生の
私を本当に気遣いながら大事にしてくれた。 
本当の父親は所謂モラハラで、母が泣くまでやり込めるような人で、
父親は私が小2の時に女を連れてきて
「来月からこいつとここで住むから今月中に出て行け」
と言って本当に追い出された。 

母方の祖父は障害があってあまり実家を頼れず、本当に貧乏で育ちました。 
お風呂も毎日入れない、制服もおさがりのみ、
1つの袋麺を母と二人で分けて食べる夕食も普通、靴下も穴を縫って履き潰した。 

高1の時に母が仕事先の社員さんに
結婚を前提に付き合ってほしいと言われたので会ってほしいと言われた。
その時は母が幸せになれるとかじゃなく、この貧乏から脱出できる!と思った。 

それから養父のマンションに二人で引っ越した。 
一人部屋を与えられて嬉しくて仕方なかった。 
高校2年にして新しい制服、ローファー、初めて携帯も買ってもらった。 
バイトもやめて大学にも行きなさいと言ってくれた。 
特別お金持ちではないんだろうけど大金持ちになった気分だった。 

浮かれた生活が続いたある日、家族みんなで朝寝坊をした。 
バタバタとみんなで準備してて、母が養父の仕事行く用意してる時、
養父は母に一つ一つ「ありがとう」と言ってた笑っていた。 
ネクタイを手渡しては「ありがとう」
朝ごはんがわりのおにぎり握ってる母を見ては「ありがとう」と。 

その光景を見た時になぜか涙がどばどば出てきた。 
なんて優しい人なんだろう。お母さん幸せそうだな。
好きな人に尽くしてるお母さんかわいいな。 
そう思うと涙が止まらなかった。 

養父は突然泣き出した私を見てあたふたして
「大丈夫だよ!!急げばまだ間に合うから!一緒に駅まで走ろう!!」
と、私が遅刻しそうだから泣いてると感違いしたみたいでしたが、
その養父の慌てっぷりがまた嬉しくて涙が出てきました。


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