249 :修羅場な話 2020/12/02(水) 19:02:22 ID:BK.lz.L1
50歳になったばかりの時、朝から胸に筋肉痛みたいな痛みがあって
筋トレをしたわけでもないのに何だろうと思っていたら
夕方になって締め付けるような痛みに動けなくなって
その日は休日だったので、妻に休日診療所に電話して聞いてみてくれんかと頼んだら
「それぐらい自分で聞けばいいじゃない」と携帯を渡された。
しかたなく携帯で調べて電話したら、すぐに大きな病院に行きなさいと言われてビビった。
妻は運転できないし、息子は就職したばかりで社員寮暮らし。
ソファに倒れ込んで、タクシーを呼んでくれって言ったら
「タクシーなんていくらかかると思ってんのよ」と言われた。
あとから思い出すと本当にムカつくが、その時は必タヒで「金なら自分で出すから」と言ってるうちに
声を出すのも辛くなって「救急車呼んでくれ!」って声を振り绞って言ったら
あの女、化粧始めたんだよ。
化粧が終わってから119番した。
病院に運ばれて心電図取ったあとすぐに手術室みたいな部屋に連れていかれて
腿の付け根からカテーテル突っ込んでステント治療。心筋梗塞だった。
あとほんのちょっと遅かったらアウトだったと医者に言われた。
入院中、色んなことを考えた。
見合い結婚だったが、平凡なりにちゃんとした家庭を築いてるつもりだった。
身体が弱い、疲れやすい体質だからと妻が専業主婦を希望するのを受け入れ
一馬力でも金の苦労はさせまいと頑張って働いてきたつもりだった。
一人息子にちゃんと大学ぐらいは行かせてやりたいと思ったし。
幸い親から相続した土地があったから上物だけで済んだのでマイホームも建てた。
夫として問題点はなかったかと聞かれれば分からないが
分からないなりに家庭を大事にしてきたつもりだ。
ただひとつ分かったことは、妻にとって俺は俺が期待してるほど大事なものではないらしい。
幸い予後はよく、3週間ほどの入院の後に退院した。
退院してからあの日のことも含めて離婚の意思を息子に話をしたら
「親の役目はもう終わったんだからお父さんの好きにしていいよ」って言ってくれたが
「お母さんって昔からああいう人だよ。自分が一番大事なんだから。俺はとっくに知ってた」
と言われたのは親として情けなかった。
それで退院から2ヶ月ほど経って離婚を申し出た。
妻は理由が分からない、私は妻としてちゃんとやってきた、離婚される覚えはないと抵抗。
数日後に妻の両親もやってきて理由を聞かれたので
あの時のことを話したら「それは・・・確かに娘も酷いが・・・でも離婚するほどのことでは・・・」
と、しどろもどろ。
「お義父さん、あなたが同じような状況で、お義母さんが妻と同じ行動をしたら許せますか?」
と聞いたら黙っていた。義母も黙ってた。
半年近く調停して楺めたけど、結局普通に財産分与して離婚することができた。
「人ひとりの人生設計狂わせておいて、これっぽっちで済まそうとしないで」と
財産分与の額に不満を言うばかりで、最後まで自分の非を一切認めなかった。
25年もの結婚生活で妻の本忄生を見抜けなかった自分の非が一番大きいのかも知れない。

後日談として。
独り暮らしにも慣れてきた。減塩食って今は冷凍で宅配してくれるものがある。
仕事から帰ってきてチンして食べるんだが、意外とこれが美味しい。まぁ貧乏舌なんだろうがw
元妻は離婚から一年ぐらい経って再婚したようで、なんかホッとしたw